若いとき、他人の意見を聞くのは、なかなかむずかしい。でも、自分の好きな人の意見だったら、すぐ耳に入る。自分の好きな人の書いた本だったら、すぐ読んでしまえるでしょう。染みわたるような感じで入ってくるでしょう。先生の仕事をじっと見ながら、下働きを通じて、それを「代行」する力を身につけ、気がつくと、自立しているのです。人間は自分一人の力でできうることは、高が知れています。その人が何をなしえるかは、自分がぜひ下働きをしたいと考える先生を、たくさんもっているかどうかで決まる、と考える理由はあります。三十人ぐらい、自分の「先生」、愛読者として本を読む先生かおり、直接お会いできる、気持ちのいい先生が三人ぐらいいたら、本当に、一年、一生がどんなに充実したものになるでしょう。といっても、なにも学説や難問について激論を交わすわけではありません。美味しいものが手に入ると、その先生のところにもっていって、一緒に食べる。いい人に会うから、ちょっと遠いけど「来るか」といわれたら、飛んでゆく。それでいいわけです。それでもう大満足しているわけです。しかし、そういう人間関係からは、他ではえることのできないエキスのようなものが生まれるのです。そういう関係を、現在のビジネス社会で望むのは、なかなかむずかしいので、自ら求めて、三十人は必要になります。そして、三十人の先生がいたら、その先生から学ぶだけで、ものすごくたくさん仕事ができる、と請け合っていいでしょう。大学時代から、自然に、あるいは身を乗り出すようにして、先生を求めるスタイルを身につけていかないと、結局は、一生涯、先生も友人もできなくなります。会社で上司に苛められて、不満ばかりをいう人になったり、自分の気に入らないシステムに反発する不満分子になったりする。逆に、自分が権力の座についたら、下の人を蹴飛ばしたり、その座を守ることだけに汲々とする姑息な生き方しかできなくなる。そういう人が多いでしょう。一言でいえば、相手の懐にぽーんと飛び込んで、拒否されない程度の、「可愛げ」を発揮できうるような人間になるためには、「先生」が必要だ、ということです。
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